Design Thinking入門(3)
デザイン思考の活用事例
ITやその周辺領域において報告されている、デザイン思考を活用したサービス開発や体制作りの事例を紹介する。最後に、デザイン思考を実践するためのポイントをまとめる。
3. デザイン思考の活用事例
デザイン思考は、単なるノウハウや手法ではなく、思考様式、プロセスと理解した方がよい。そして、このデザイン思考は、新たな製品やサービスを開発する場合や、新事業開発、働き方の改善や組織改革、地域活性化や社会的課題の解決、イノベーション人材の育成などさまざまな領域で役立つ。
その中でも、IT領域との相性は比較的良い。IT領域では従来、詳細なRFP(提案依頼書)を受け取り、それに基づいてウォーターフロー型で開発してきた。しかし、RFP自体がユーザーニーズを的確に捉えていた場合は問題ないが、そこに誤りがあった場合や開発過程で修正が必要な場合でもすでに多額の投資が行われていることなどの理由から、後戻りすることが難しい場合も多い。
そこで、デザイン思考では、目の前のユーザーを観察し、本質的なニーズを見付け出し、その課題解決へ向けたソリューションをできるだけ素早く提供し、必要な改善を図っていくことで、ユーザーやマーケットへ徐々に適合させていく。
これまでの開発が成功を目指して直線的に進められていたのに対して、デザイン思考では、「素早い失敗」を行うことで、徐々に成功へと近づいていくことになる。
そして近年、ITやその周辺領域においてもデザイン思考を活用したサービス開発や体制作りの事例が報告されるようになってきた。
iPod開発へのデザイン思考の適用
デザイン思考の代表的な事例として挙げられるのが、アップル(Apple)社のiPodである(Brown, 2009; 奥出, 2013; 上野, 2012)。開発体制として、社内の開発者と社外のデザイン専門家や心理学者、人間工学の専門家など、35名が共創し、11カ月足らずの短期間で開発が行われた。
そのプロセスは、競合他社の製品分析とユーザーがどのように音楽を聴いているのかを徹底的に観察することから始まった。そこから、ユーザーの多くがCDからPCへ音楽を保存し、それをプレーヤーに移すことを手間に感じていることが発見され、「どこでもその場で選んだ音楽を聴きたい」というユーザーの潜在的ニーズを導出した。そして、「音楽の聴き方に革命を起こす」「全ての曲をポケットに入れて持ち運ぶ」といったコンセプトが生まれ、回転する円盤のマウスにより画面の変更操作できるスクロールホイールやiPodとPCを自動同期させるauto-sync、といった斬新なアイデアを具現化していった。
試作と評価・フィードバックは何度も繰り返された。約2カ月で100以上のプロトタイプが制作され、2001年10月、「自分の音楽コレクションを全部ポケットに入れて持ち運び、どこででも聴くことができる」新しいデジタルミュージックプレーヤーが発表され、翌月市場に投入されると同時に瞬く間に世界を圧巻した。
発売後もユーザーの行動分析は続けられ、2003年4月、iTunesミュージックストアの開設に合わせて改良版が市場投入されるなど改善を重ね、現在の大容量ハードディスク、容易な曲管理システム、容易な操作性、音楽購入サービスという、ハード、ソフト、サービスが一体化した新たな経験デザインを提供する製品が誕生した。
ユーザーへの徹底した観察を通じて、新たな顧客価値を創造したデザイン思考の成功例といえるだろう。
新たな経験デザインを提供したWii
続いて、我が国のデザイン思考による開発事例の代表的存在が、任天堂のWiiである(ITと新社会デザインフォーラム, 2013; 野村総合研究所, 2014)。
Wiiの開発ではまず、社員の家庭の観察を通じ、ゲーム機があることで子どもと親の関係が悪化している、ゲーム機があるとリビングでの子どもの滞在時間が短いといった状況が確認された。同時に、鍋を囲んでいる家庭は親密度が高いことなどが明らかになっていった。
そして、「家族が楽しめる」「家族の関係を良くするようなゲーム機」というコンセプトが生み出され、開発チームが一体となってアイデア創出とプロトタイピングが繰り返され、家族がみんなで使えるリモコンのようなコントローラーや低消費電力CPU、リビングにおいても邪魔にならないコンパクトな本体が具現化されていった。コントローラーは、1000回以上のプロトタイピングが重ねられたといい、重さや形状、少ないボタン、片手での操作性など細かい点を何度も検討して開発された。
Wiiもまた、現場の観察から着想を得て、ゲームがそれまで持っていた常識を飛び越えた新たな経験デザインした、デザイン思考適用の好事例だといえる。
デザイン思考を全社展開するYahoo! JAPAN
2013年からデザイン思考の全社展開を進めているのがYahoo! JAPANである(野村総合研究所, 2014; Yahoo! JAPAN Creative Blog)。企業規模の拡大に伴い、決裁などの内部の事務処理に時間がかかるようになり、意思決定、業務遂行のスピード感が落ちているという兆候を感じたことを契機に、“ユーザーファーストなサービスを作ろう!”“「!」なサービスを作ろう!”というスローガンが掲げられた。
しかし、どうしたらユーザーファーストなサービスが実現できるのかという課題にぶつかった際、注目されたのが、ユーザー視点に立った新たな価値創出の手法であるデザイン思考であった。
そこで、有志らが中心に、社内でデザイン思考を取り入れたいという社員向けにデザイン思考ワークショップやセミナーを定期開催していった。そうすると、参加した社員が担当する案件で実際にデザイン思考を取り入れるといったケースが報告されるようになったという。
そして、2014年1月には社内にワーキンググループが立ち上げられ、デザイン思考をファシリテーションできる人材の育成が進められるなど、全社的な取り組みへと発展している。
Yahoo! JAPANの事例が興味深いのは、デザイン思考の導入自体がデザイン思考的に進められており、試行錯誤を繰り返しながら徐々にそれを全社の取り組みへと展開しており、組織的にデザイン思考を取り入れる際の1つの道筋を示しているといえよう。
ユーザー起点のイノベーション創出に向けたサムソン電子のデザイン経営
サムソン電子では、1994年ごろから、デザイン重視の姿勢を打ち出し、イノベーションや新製品開発にデザイン思考を積極的に取り入れてきた(経済産業省, 2013)。
90年代初頭、サムソンの役員らがIDEOなどを訪れ、アメリカのデザイン事務所の競争優位の源泉が、デザイナー、エンジニア、文化人類学者、MBAなどの多様な専門家による協働にあると気付いたことで、サムソン社内にデザインセンターが設置されることになった。
デザインセンターでは、年齢や専門性の異なる人材を集め、チーム単位での活動を推進した。対等な立場での対話を重視した自由で創造的な雰囲気のある職場作りが徹底された。製品のデザインだけを行うのではなく、企画段階からデザイナーが参加し、消費者の観察・理解を起点に、継続的なイノベーション創出に向けたプロセスを社内で共有している。
現在では、ソウル、ロサンゼルス、ロンドン、ミラノ、上海、東京、デリーにデザインセンターが設置され、1000人以上のデザイナーが開発に取り組み、その核にはデザイン思考が据えられ、製品開発だけではなく、社内の人材育成にも応用されている。
LINEの急成長を支えるユーザーリサーチルーム
LINEでは、ゲームや新サービス開発などの際、想定されるユーザーの行動観察を目的に、複数のカメラが配置されたユーザーリサーチルームを設置し、ユーザーの徹底した行動分析を行っている。新たに開発したサービスを想定ユーザーに試してもらい、実際の操作画面や表情などを観察し、そこで発見されたユーザーニーズを素早くサービス改善に役立てているといい、そのプロセスは極めてデザイン思考的である。
4. おわりに
自らユーザーや社会の問題を発見し、ソリューションを提案できるIT技術者
我が国およびIT領域が置かれている状況は楽観視できるようなものではない。しかし、ここまで見てきたように、デザイン思考の特徴は、見方を変えれば、日本人が得意としてきた、もしくは、無意識に実践してきたことに通ずる部分も多い。
これからのIT領域、技術者には、これまで以上に自ら主体的に、現場に足を運び、他者との協働を通じてユーザーの潜在的なニーズを見付け出し、ソリューションを提案できる力が求められる。
実践でしか養われないデザイン思考
そのための1つの方法がデザイン思考なのだ。そして、デザイン思考を身に着けるには、とにかく、実践してみることが何よりの近道となる。
デザイン思考を実践する上では注意すべき点もある。1つは、“out of the box”といわれるように、社内や業界にある目に見えないしがらみから身を外すことである。誰もまだ気付いていないニーズやそれに対応したソリューションは、まだ誰も気付いていないものであることから、その発見を阻害するのは、いわゆる常識である。特に、社内や業界といったこれまでの成功体験の中に無意識にいる状況では、気づけることにも気づけない場合もある。そこで、社内の技術者向けにデザイン思考を取り入れたワークショップの開催やアイデアソン、ハッカソンなどのイベントへの参加を促すことも1つだろう。
また、管理者クラスにデザイン思考を理解できる人材がいるかどうかも大きい。これは日本の大企業にも多いが、イノベーティブな提案が現場からあったとしても、組織としての判断を行う管理者の側にそれを理解できる力がなければ具現化することは難しい。その意味で、管理者クラスがデザイン思考を体験する工夫も必要となる。
そして、デザイン思考の要諦は、観察と共感にあるということだ。観察や共感のない、アイデア創出だけをさまざまな手法で展開してもあまり意味がない。ユーザーの日常生活の中にある新たな経験を発見し、ユーザーの置かれているコンテクストを自分の経験として内部化することで洞察が生まれることを忘れてはならない。
これまでのように誰かが作るべきものを提示し、それを作る、という時代は終わりを迎えつつあり、IT技術者1人1人が、社会的価値を生み出していくことが求められていることに変わりはない。
その1つの糸口として、今目の前にある取り組むべき業務をデザイン思考のプロセスで実践してみてほしい。
5. 参考文献
- ITと新社会デザインフォーラム(2013)『ITプロフェッショナルは社会価値イノベーションを巻き起こせ:社会価値を創造する“デザイン型人材"の時代へ』日経BP社.
- 上野哲史(2012)「デザイン型人材の役割と実践:”デザイン思考”によるイノベーションの場の創造」『ITソリューションフロンティア』2012年5月号, pp.10-15.
- 奥出直人(2012)『デザイン思考と経営戦略』NTT出版.
- 奥出直人(2013)『デザイン思考の道具箱:イノベーションを生む会社のつくり方』早川書房.
- 経済産業書(2012)『フロンティア人材研究会報告書』.
- 野村総合研究所(2014)『国際競争力強化のためのデザイン思考を活用した経営実態調査報告書』.
- Brown, Tim (2008) “Design Thinking,” Harvard Business Review,86(6), pp.84-92. (「人間中心のイノベーションへ:IDEOデザイン・シンキング」『Diamond Harvard Business Review』pp.56-68, 2008)
- Chesbrough, Henry William (2003) Open Innovation: The New Imperative for Creating and Profiting from Technology, Boston: Harvard Business School Press.
- Lee, Fleming (2004), “Perfecting Cross- Pollination,” Harvard Business Review, 82(9), pp.22-24.(「『学際的コラボレーション』のジレンマ」『Diamond Harvard business review』29(12), pp.13-16,2004)
須藤 順(すどう じゅん)
高知大学地域協働学部 講師
博士(経営経済学)。
医療ソーシャルワーカーに従事後、医療関連施設の立ち上げと経営に参画。
その後、中間支援機関においてコミュニティ/ソーシャルビジネスのコンサルティング、まちづくり/コミュニティデザイン支援、農商工連携/6次産業化等の支援を担当。
2014年10月より現職。
専門は、社会的企業論/社会起業家論、コミュニティデザイン論。
全国各地のコミュニティデザイン/ソーシャルデザイン支援やコミュニティビジネス/ソーシャルビジネス支援、アイデアソンファシリテーターを展開。
1. なぜ今、デザイン思考が注目を集めているのか?
イノベーションは1人の天才によって生み出されるわけではない?! 最新のイノベーションに関する知見から、IT業界に求められるイノベーション創出環境について理解しよう。
2. 0から1を創り出すデザイン思考 ― 新たなイノベーション創出手法
人々のライフスタイルを変えるような画期的なアイデアは、どうやって生み出せばよいのか? 5つのプロセスを反復的に繰り返す「デザイン思考」という手法を説明する。